« 3年が経ちました。 | トップページ | 猫とタクシー »

2014年11月24日 (月)

晩秋の夕暮れに

 季節のご挨拶代わりのおばかな小話です。よろしかったらどうぞ。

 

 

 ディーゼルエンジン特有の振動に、いつの間にか眠りを誘われていたらしい。はっと目を覚ました女は、いささか慌てて列車の窓から外の景色を確かめた。
 大丈夫、乗り過ごしてはいない。安心して傍らに目をやると、息子は窓に頭を寄りかからせてぐっすりと寝入っている。久しぶりの行楽、はしゃぎすぎて疲れたのだろう。いくつになっても子どもは子ども、と、女はアーモンドアイの目元を和らげ、柔らかで黒い被毛に覆われた手で、ゆっくりと息子の耳の後ろを撫でた。息子の耳が、ひくん、と動いたが目を覚ます気配はない。彼女、黒猫の女は快い疲れを身体に感じながら、親子水入らずで楽しかった1日のあれこれを思い返した。

「まもなく、猫坂町に到着します。お乗り換えのご案内をいたします。魚取り方面へおいでの方は、降りたホーム反対側、3番線から17時20分発の……」

 のんびりしたアナウンスに促され、そこここの乗客達が荷物棚に手を掛ける。
 女の前の座席に座っていた若い男もすっと立ち上がり、棚の荷物、作りの良い大きめの革鞄を軽々と下ろした。薄茶色の被毛、すらりとした細身と優雅な仕草が育ちの良さを物語っている。彼は自分が座っていた座席に鞄を下ろすと、通路に立ちながら荷物の整理を始めた。さした物音も立てずに手際よく片付けていく。
 その若猫には連れが居た。座席の背もたれに遮られているため顔は見えないが、女のようだ。彼女の方は席に座ったまま、荷物も網棚に載ったままだった。若猫に向けられた白い耳だけがまっすぐな背もたれのへりの上に見えている。若猫の顔を見ているらしいことは、耳の角度から知れた。

 軽い音をたてて鞄のジッパーが閉じられる。荷物の整理は終わっても、若猫はそのまま通路に立ち、座る素振りを見せない。そのとき、背もたれの陰から白い左手が伸びてきて、若猫の上着の端を握った。
 若猫は、微笑むでも、眉を下げるでもなく、その左手を両手で包み込むと自分の上着から外した。頼るよすがをなくした白い手が、宙に取り残される。

 徐々にスピードを落としていた列車が、摩擦音を立てて止まった。到着を知らせるアナウンスが流れる中、若猫はゆっくりと、しかし大きなストライドでひとり、荷物片手に出口に向かって行く。
 その背を追うように、通路に身を乗り出し見送る白猫の横顔が、黒猫の視界に飛び込んできた。それは一瞬のことだったが、若猫よりは年嵩とおぼしき優美な顔、そこに浮かぶ憂いの影が、残像のように黒猫のまぶたの裏に焼き付いた。
 白猫は、若猫の姿が扉の向こうに消えるや否や窓にしがみついた。おそらくは食い入るように見つめているであろう彼女を一度も振り返ることなく、若猫は跨線橋へと続く階段を昇り、去って行った。

 ゴトン。
 重たげな音とともに再び列車が動き出す。随分と人少なになった車内。二人がけの座席にぽつりと座る白猫のかすかなため息を、黒猫の耳が捉える。

 何が起きたわけでもない、何か特別なことを見たわけでもない。けれども、白猫の思いに共鳴するなにがしかの感情が黒猫の中でざわめく。黒猫は、いたたまれないような気持ちで窓の外に目を向け、夕暮れに沈む山々のシルエットを眺めやった。

「おかあさん、あと、どれくらい?」
 ぼんやりと物思う黒猫の意識を呼び戻したのは、くぐもった息子猫の声だった。
「ああ、次よ。あと10分くらい」
「そう。なんだかよく寝ちゃった」
 息子猫は両手を前方に伸ばし、ぐぐっと背を丸めてのびをした。そして今度ははっきりした口調で
「わあ、もう暗くなっちゃったねえ。日が落ちるの、早いなあ」
「そうだね」
 窓に押しつけられたせいでついた、息子猫の顔の寝癖を直しながら黒猫は思う。
 なくしてしまったもの、手が届かなかったもの、たくさんあるけれど、それでもこうして手の中に残ってくれるものもある。それを本心から大切に思える、そういう幸せもあるのではないかしら。

 幸せの幅って、存外広いもの。今は辛くても、そのうちに気づく。きっと、あなたも。

 それは、密やかに贈られた、黒猫から白猫へのエール。

 

「うわーっ、赤にオレンジ、黄色……、きれいっすねえー。帰ったらオヤッサンに見せなくちゃーっ」
「あと、これも拾ってきたんだ。良かったらどうぞ」
「わわ、ドングリだ。うれしいっす!!つやっつやじゃないっすかーっ。これ、転がして遊ぶと面白いんすよねーっ。」
「うん。ぼくも大好き。昨日も夜中に走り回って遊んでたら、オバサンに怒られちゃった」
「あっははっ。無理無理。丸くて転がるものが目の前にあったら、おれら猫族にブレーキなんか利かないッすよ。雇い主ならそれくらいのこと、わかっててくれなきゃあ」
「だよねー」

 翌日の昼下がり、カフェ「縞三毛」はいつになく賑やかだった。カウンターの端では小旅行の土産を前に、息子猫と白黒ハチワレ猫が盛り上がっている。

 少し離れた席からその様子を眺めているおとなの猫たち、母猫とカフェの女主人、それに常連客の虎猫それぞれの前に置かれた小皿には、これまた小旅行土産のマタタビサブレが乗せられている。

「紅葉にドングリ、秋の恵みをお土産になんて、坊は存外細やかなところがあるじゃないか」
 お茶の用意をしている女主人の前にも、色鮮やかな楓や銀杏の葉が置かれていた。虫食いの跡もシミもないその落ち葉も、息子猫からの土産だった。

「ほんとにね。元気がいいだけが取り柄のおっちょこちょいのように見えて、ポイントポイントは外さない。まったく誰に似たんだか」
 カウンターに寄りかかって息子とその友人をながめていた母猫の口からこぼれ出た言葉の後半は、半ば独り言のようだった。
 めずらしいこともあるものだ、と女主人は思った。この町に来る前のことを、母猫が自分から話題にすることはほとんどない。なにかあったのか―。話しやすいように水を向けたものかどうか……逡巡しながら、ポットのお茶をマグカップに注いでいた女主人の手が突然止まった。
「坊主の親父さんてのは、どんな猫だったんだい?」
 ぶしつけなまでにストレートな質問をしたのは、コーヒーカップを手にした虎猫だった。
 まったくこのひとは、いくつになっても気遣いってものができないんだから。この、噂好きのミーハー親父が。
 女主人は密かに腹を立てながら睨んだが、当の虎猫は全く気づかない。

「あの子の父親ですか?私たちと同じ黒猫でしたよ。」
「やっぱりドングリ眼かい?」
「そうそう、ドングリ眼でボンボン尻尾。あんまり大柄な方ではなかったかな」
 女主人の心配をよそに、母猫はさした抵抗もない様子で話し始めた。

「木登りは私の方が得意でしたね。そのかわり逃げ足の速いことと言ったら、町内でも有名でしたよ。」
 誰かに追いかけられて必死に逃げる元夫の姿を思い出したのだろうか、母猫はころころと笑った。
「私みたいな年上を女房にしておきながら、若い子も好きで。もてもしないのに、やれ三丁目のミケ子がどうの、一丁目のサビ恵がどうのって。まあ、彼はまだ若かったから仕方がないって、今ならそうも思えるのだけれど、当時は随分ケンカもしましたね―。あ、でも、息子が生まれたときには、切り身の魚の端っこを差し入れてくれました。どこでどうやって手に入れたんだか。」

「優しいところもあるんだな。」

「そうですね。お調子者だったけれど優しかったと思いますよ。でも……、あの子が生まれて少したった頃に、どこかに行っちゃいました。一人で。」

「……そうか。男には、そうしたところがあるからな」

「その頃にはもう、あの子の弟妹がお腹の中に居たんですけれどねえ」

「ほい、ミモザティー、お土産のお礼だよ。こっちは坊と、いるか便の子の分」
 女主人が、適度にさましたミモザティーのカップを三つ、母猫の前に置いた。

「あらあ、すいません。ありがとうございます。……ほら、これはあんた達の分。お礼を言ってね」
「「アリガトウゴザイマース」」
ふたりの男の子の声がきれいに重なる。

「ねえねえおかあさん、今日のお礼にね、今度、ススキを取ってきてくれるって。すごいんだよ、この子のオヤッサン、バイクで遠乗りに行くんだって、そいでね、サイドカーに乗って一緒に行くんだって」

 バイク、サイドカー、遠乗り、ススキ……息子猫は、自分の生活圏にはない単語が白黒ハチワレ猫から次々と出てくることに興奮したようで、言葉がうまく続かない。けれども、母猫はゆったり笑って受け止める。

「雇い主さんと一緒にバイクで遠乗りに行くのね。サイドカーに乗って。ススキのある所って言うと、山かな?」

「そうっす。オヤッサン、山ん中の寺とか神社とかが好きなんで。んで、写真を撮るんすよ、ものすごくいっぱい」
「おまえさんの雇い主は、写真家かい?」
 虎猫が尋ねる。
「や、そうじゃないッす。でも、仕事に使うとかで。おいら、オヤッサンの仕事のことはよくわかんないんすけど。一眼レフ、とかいうでかいカメラ、バイクに乗せていくんすよ、いつも。」
「そうだ、できたら、私にもススキを持ってきておくれよ。店に飾りたいんだ」
「合点承知の助!とびっきりのススキを持ってまいりやす!」

 突然飛び出した古めかしい言い回しに、猫たちの笑い声がはじけた。

 

 母猫は知らなかった。この町に移り住むために故郷を離れた日、寒風が吹き抜ける駅のホームで列車を待つ彼女と息子猫を、線路脇の高台の上、ケヤキの陰から静かに見送る猫がいたことを。
 息子猫の方はそれに気づいたのだけれど、木の陰の猫が、片目をつぶり口に人差し指を当てて「シッ」という仕草をしたために母猫に言いそびれたことを。
 そして、空高く流れゆく雲を眺めるたびに、息子猫がそのボンボン尻尾の猫を思い出していることを。

 あれから10ヶ月。また、冬がやってくる。

  ※小話シリーズは、1年前の設定で書いています。

 

 

20141018a

 「ワタシの元ダーリンをねつ造するの、やめてくれない?」

 ごめんごめん、リンリンを見ていたら、つい。

« 3年が経ちました。 | トップページ | 猫とタクシー »

小話」カテゴリの記事