小話

2016年2月22日 (月)

アンズ、向こう側の世界で

  猫の日なので、思い立って書いた小話を。

 お時間がありましたらおつきあいください。

 今日の小話は、いつものカフェ「縞三毛」シリーズとは別物です。虹の橋を渡ったアンズ視点での話です。

 アンズがお世話になった保護主さん、ろんぷさんのお家で一緒だった先輩猫さんのルディちゃん、ラミーちゃん、そしてはにちゃんにも登場してもらっています。ろんぷさん、書かせてくださって有り難うございました。

 アンズは旧名で『クロミ(クロミン)』、リンリンは『ジジ』の名で呼ばれています。

 内容はないよう、な小話ですが、よろしければどうぞ。

 

「ふたたびの……」

 

 暖かな日差しが降りそそぎ、緩やかな起伏が続く草地。人も、猫も、犬も、それぞれのんびりとした時間を楽しんでいる。ところどころにある立木が作る影の中に座る人たちも居る。

 こちらの世界に来て、2週間くらいかな。聞いたところでは、向こう側の世界とは時間の進み方がずいぶんと違うらしい。向こうはそろそろ春になろうかという頃のよう。こちらの世界の方がゆっくり時間が過ぎていく、ということみたい。

 それにしても、こちらは本当に居心地の良い世界。ひとりでいても、おなかがすいて泣きたくなるような思いすることも、凍えて辛いこともないし、猫に意地悪をするニンゲンもいない。
 それでも、最初のうちは慣れなくてまごまごすることもしょっちゅうだった。こちらの世界にいる知り合いと言えばただひとりで。まあ、彼女なりにいろいろと世話を焼いてくれたので感謝はしているのだけれど。それにしてもなんだかな~という気がとてつもなくする。こういう光景が目に入ってしまうと。

 ワタシの目の前には立派な銀杏の木があって、その根元に男の人があぐらをかいて座っている。その前には、白くて大きな紙。男の人は、細長い棒のようなものを慣れた手つきで削っている。小刀や硬い紙のようなもの(ヤスリっていうらしい。初めて見たけど。)を使いながら。削りかすが、男の人の前に広げられた白い紙の上に小さな音を立てながら落ちていっている。

 男の人はあまり問題ではないのね。それより、あぐらの上に収まっている猫が気になって、ついつい見てしまうのだ。

 墨壺に落ちた虎猫のようなシュールな柄の大きな猫。名前はガチャ子さん。彼女が、こちらの世界でのワタシの唯一の知り合い。
 ワタシたちが藻塩の家に来る前に、こちら側に来たらしい。でも、ワタシが息子や藻塩と一緒に暮らしていた家にも、時々遊びに来ていたんだよね。ふわふわリビングを飛んでいました。
 そのときは、たいそう偉そうで言いたい放題やりたい放題だったのに、今の彼女ときたら、「世界中でアタシよりかわいい猫はいないと思うの」てなオーラ全開。そのうえ、思いっきり甘えた目で男の人を見上げたりしている。よっぽど好きなんだろうな、その人が、とは思うものの、ああもあけすけに嬉しそうな顔をされると、端で見ていてもなんだかね~。

 あ、ガチャ子さんがこっちをみた。
 イイデショ。デモオトウサンノヒザハユズッテアゲナイカラネ。
 声をださずに口の動きだけでそんなことを言ってきた。ああ、あの男の人、藻塩のお父さんなんだ。そういえば目元がちょっと似ているかも。
 なんて思いながら見ていたら、ガチャ子さんが目を三日月型にしてにいっと笑った。いわゆるチェシャ猫笑い。なんかむかつく。

 誰が、そんなとこに座りたいもんですか。おもわず半眼になってしまった。

 ガチャ子さんの得意げなにやにや笑いを見ていても仕方が無いので、場所を変えることにしよう。そう思って立ち上がった時。

「クロミン。クロミンだよね。」

 え……?この声、まさか。

 振り向いたワタシの目に、茶トラ白猫とキジトラ白猫の姿が飛び込んできた。

「!!!!!」

 外で暮らしていたワタシと息子を迎え入れてくれたお姉さんの家の先輩猫。家猫として生きることを決めた私たち親子に、厳しくも温かい指導をしてくれた恩猫のふたり、ルディ兄とラミ兄がそこにいて。

 うそ。なんで?

 驚きとうれしさ、懐かしさが一挙に押し寄せて、ピンとしっぽを立てたまま、全身の毛がぼわっと立ってしまった。

「あいかわらず、ちょっとしたことですぐびっくりするね。驚くか喜ぶか、どっちかにしたら?それじゃ忙しすぎるよ。」

 茶トラ白猫のラミ兄がそう言いながら、優しく微笑んでおいでおいでをしてくれる。
ワタシは思わず飛びついてしまった。
「ラミ兄!ラミ兄!!」

「ちょっとは誰かに甘えることを覚えたようだね、クロミ。」
 キジ白猫ルディ兄も側に来て、頭をなでてくれる。
 なつかしい、温かい肉球の感触。

「昔は、ジジ坊を守らなきゃって、肩肘張って突っ張ってたけどね」
 ラミ兄がからかうように言う。

 だってだって、外で暮らしていたときは、ニンゲンも、ほかの猫たちも、ワタシや子どもたちにいじわるばかりしていたんですもの。お姉さんに会ってお家に入れてもらうまでは、ぶったり怒鳴ったりしない人がいるなんて、ゴハンを横取りしない猫がいるなんて、思いもしなかったんですもの。

 二人に抱きつきながら、深く深く息を吸い込む。懐かしいルディ兄、ラミ兄の匂い。そしてほのかに香る、お姉さんの匂い。幸せの匂い。

 そう。ワタシたちは、ふたりの兄さんに大切なことをたくさん教わった。
 ゴハンは毎日決まった時間にもらえること。でも、おなかがすいたらおねだりしてみるといいこと。トイレの使い方。爪をといでいいところとダメなところ。イヤなときにはイヤと言っていいこと。そして猫同士のつきあい方やエリアの棲み分け方も。

 お姉さんはとても優しい人だから、信頼できる人だから、隠れなくても大丈夫。
 威嚇したり爪を立てたりしてはいけない。
 ゴハンを奪う必要は無い。

 繰り返し教えてもらったのだけれど、最初のうちはどうしても怖さが抜けきれなくて、ゴハンを持ってきてくれたお姉さんに飛びかかって、Gパンに穴を開けてしまったこともあったっけ。

 その日の晩、ルディ兄にこんこんとお説教をされたけど、それも今ではいい思い出。

 昔と全然変わらないふたり。だめなことはだめと厳しいところもあるけれど、いつもは優しくて、落ち着いていて、頼りがいのあるルディ兄。イケメンで都会的、でもお茶目なラミ兄は、ルディ兄に叱られて落ち込んでいるワタシたちを、軽いジョークでなぐさめてくれた。

 どっぷりと思い出に浸りきっていたけれど、突然気がつく。
 今更のようだけれど、ふたりがここにいるって事は―。

「うん、兄さんが先に、僕は後からここに来たんだ」
「ここは居心地が良いところだから不満はないんだが」

 ふたりはふと空を見上げた。私もつられて振り仰ぐ。紗がかかったような柔らかい青色。優しさの色。
 遙か彼方を気遣う兄さんたちの思いが、隣にいるワタシにも伝わってきた気がした。

「クロミンこそ、早いんじゃないの、こっちに来るのは」
「引っ越してからいろいろあって。これでもがんばったんだけれど」
「こんなことを言っても仕方が無いが、甘えっ子のジジ坊は大丈夫なのか?」

 心配そうに私の顔をのぞき込むふたりに、にっこり笑ってきっぱり言い切る。
「それは大丈夫。あの子は、ワタシ以上に人の扱いはうまいから。今頃は同居人を肉球の上で転がしていると思う。」

「ほう、それはそれは。成長したんだな、ジジ坊も」
 ルディ兄が満足そうに笑って言う。そう、ワタシたち、成長したんです。見せたかったな、ワタシと息子が藻塩をいいようにあしらうところを。

「久しぶりだからゆっくり話そう。ここじゃなんだから、向こうの草地のくぼみに行こうか。落ち着けるところへ案内するから。」
 ルディ兄たちに誘われて、一も二もなくついて行こうとして、あれと思った。
 陰になっていて気がつかなかったけれど、ラミ兄の後ろにしがみつくようにしている子猫がいる。
 茶トラで華奢な子。耳と目が大きくて。誰だろ?

「ああ、この子ね。お姉さんの家でちょっとだけ一緒だった子なんだ。ほら、はに、後ろに隠れていないで」

「こんにちは、はじめまして。よろしくね」
 ラミ兄に押し出されてきた子猫に、身をかがめて顔を近づけたら、びっくりして目が丸くなったあと、はにかむように笑ってラミ兄にひっつき、それでも小さな声で返事が返ってきた。

「こんにち、は」

 鈴を転がすような声。

 ……いっっ……いやーーーっ!なにこの子、かわいい!すっごくかわいいっ!!どうしよう!!!

 瞬時にアドレナリンがでまくり、自分でも顔が上気していくのがわかる。ええ、興奮っ、大興奮ですよ!
 いやいや、おちつけワタシ。怖がらせてはダメ。ここは一つ穏やかに穏やかに。
 にっこり笑ってさらに声を掛けた。

「はにちゃんていうの。素敵なお名前ね。ワタシもね、ラミ兄やルディ兄と一緒のお家に住んでいたことがあったのよ。」
「え、そうなの?」
「そうなの。だから、仲良くしてくれる?」
 手を差し出してみたら、握ってくれた。小さな肉球、柔らかな被毛。細くて温かい手。
 うわーっうわーっうわーっ!!久しぶりだわっ久しぶりの「本当の」子猫だわ!!!

 「あいかわらず子猫に目がないな」なんて、ルディ兄ラミ兄のコショコショ話には気がつかないふりをしておこう。まずはこの子と仲良しになりたい。手をしっかりつないでから、とびきりの聖母風スマイルではにちゃんにほほえむ。はにちゃんも嬉しそうに笑い返してくれた。
 いい感じではないですか。
 さあ、こちらでの生活も楽しくなってきた。

 うきうきと四人連れだって、ルディ兄の言う、落ち着ける草地のくぼみに行こうとしたとき、ふと視線を感じて振り返る。
 オトウサンのヒザの上に香箱座りをしているガチャ子さんと目が合う。

 ヘエ、アンタニモコッチニシリアイガイタンダ。
 ソウヨ、イルノ。カッコイイシリアイト、カワイイシリアイガネ。イイデショ。

 視線だけでやりとりをした後、にいっとチェシャ猫笑いをしてみせた。
 あ、ガチャ子さんが半眼になった。

 そしてガチャ子さんは、ふいっとうしろをむき、オトウサンの膝の上を何度かくるくる回ったあと丸くなった。本格的な昼寝を楽しむらしい。

 ワタシとはにちゃんは、手をつないでルディ兄ラミ兄のあとを追う。

 

 暖かな日差しが降りそそぎ、緩やかな起伏が続く草地。青空を横切る雲の影が、大地の上をゆっくりと動いていく。

 大好きなひとたちとまた会えるここは、そう、幸せの場所。

 

 

二月二四日追記

 イケメンにゃんこのルディちゃん、ラミーちゃん、超絶愛らしいはにちゃんには、ろんぷさんのブログで会えます。 是非いらしてください。

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2015年12月23日 (水)

冬至の頃に

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「藻塩がまた小話を書いたって。お暇だったら読んでやってください。」

 

 

12月12日 曇り、風強し。

 

 ガタン、バタバタバタッ。ダンッ。

 扉が開くや否や、カフェ『縞三毛』の中に強い風がなだれ込んできたが、大きな音とともにすぐに閉じられ、店内は静寂を取り戻した。

 「ひぇーっ、すっごい風、飛ばされるかと思った」

 ただでさえ大きなドングリ目をさらに大きく開いた黒猫が、扉を背に立っている。彼はカフェの、正確に言うとカフェのおやつタイムの常連客だ。

 「だいじょぶっすか、兄さん」
 カウンター席に腰掛けていた二人連れの客のうち、白黒ハチワレ猫の方が声を掛けてきた。

 「ん、まあ、雨じゃないだけマシかな。おばちゃん、山羊ミルクドーナツ一つね」
 「はいよ。飲み物は?」
 「んと、ミルクたっぷりミモザティー。」

 毛並みを整えながらオーダーを済ませ、カウンターに近づいてきた黒猫は、白黒猫の左隣にちょこんと座っているキジトラ猫に目をとめた。子猫時代を抜け出たくらいだろうか。 きょとんとした表情が幼さを感じさせる。

 「あれ、初めて見る顔だね。友達?」
 黒猫はキジトラ猫をみながら白黒猫に尋ねる。
 「この子、先週ウチに来た子なンすよ。『仕事先の近くにひとりで居たから』って、おやっさんがウチにつれて来たンす。」
 「へえ、そうなんだ。コンニチハ」
 「コンニチハ」
 キジトラ猫はにっこり笑って答え、聞き返してきた。
 「にいちゃんのお友達?」
 「そうだよ。かわいい子だね。おやっさんのところでかわいい業するの?」
 「いやあ、どうかなあ」
 頭を掻きながら代わりに答えた白黒ハチワレ猫の返事は、いつもに似ず歯切れが悪い。
 黒猫は頭を少し傾けて、白黒ハチワレ猫が話し出すのを待った。

 「おやっさんはすっごく忙しい人なンすよ。出張も多いからしょっちゅう外泊するし。おいらはもう慣れてるし、いるか便の仕事もあるから全然問題ないンすけど、この子は、なんてゆうか……」
 「さびしんぼうさんなんだ。」
 「そうなンす。一人で留守番させると、あっちこっち荒らしたりよごしたり。おとついなんか、おやっさんのデスクの上のインク瓶をたおしちゃって」
 「床がしみだらけ、か。」
 「じゃなくて、パソコンのキーボードがだめになっちゃって」
 「あやー、それはそれは」

 白黒ハチワレ猫をまっすぐに見ながら、キジトラ猫は何か言いたげな表情をする。が、言葉は出てこない。

 黒猫がキジトラ猫の方に少し身を乗り出し、柔らかな口調で尋ねる。
 「キミは、おやっさんのこと、好き?」
 「好き!」
 「にいちゃんのことは?」
 「好き!」
 キジトラ猫は二つの問いに間髪を入れずに答え、ぱあっと笑った。が、

 「それなら、好きなひとをこまらせるようなことはやめた方がいいよね」
 「……だって」
 とたんにキジトラ猫は下を向く。

 この子、していいことと悪いことの区別はついているんだ。でもきっと、一人での留守番が寂しくてついやっちゃうんだろうな。
 黒猫は口に出さずに思っただけだったが、
 「さびしんぼう同士、わかるわかるって顔だね。」
 白黒猫の右隣の席にスイーツのセットを置きながら、カフェの女主人がくちを挟んできた。
 「そんなことないよ」
 にやにや笑いの女主人を見ながら、黒猫は顔を赤らめて不服そうに答える。

 「はじめはおやっさんもこの子をウチで雇うつもりだったようなンすけど、いつも一緒にいられる人が居る家の方がいいかなって、思い始めたみたいで」
 「猫にはそれぞれ質ってもんがあるからね。ひとりが好きな猫も居れば、誰かと一緒でなければダメな猫も居る。」
 「そうだよね。難しいね」

 六つの瞳の視線がキジトラ猫に集まる。キジトラ猫は首をすくめて淡く笑った。

 

 

12月23日 小糠雨、のち…… 

 

 明け方から降り出した霧のような雨は、午後になってもやむことはなかった。
 カフェ『縞三毛』の古いエアコンが、湿り気を帯びた冷気と格闘中、時折大きな音を立てている。

 カウンター席に座る黒猫は、山羊ミルクココアがたっぷり注がれたマグカップを両手で包み、ふうふう息を吹きかけながら口をつけかけては離すということを繰り返していた。立ち上る湯気越しに、隣に座る母黒猫がその様子を見守りながら微笑んでいる。

 と、カフェの扉が静かに開いた。
 「いらっしゃい」
 女主人が声を掛ける。

 入ってきたのは白黒猫だった。うつむき加減でゆっくりと店内に足を踏み入れ、そのまま黒猫の隣に腰掛けた。

 「コーヒー。ブラックで」

 カウンターに視線を落としたまま、女主人にも、黒猫親子にも挨拶をせずにぽつりと注文する。

 「久しぶり。今日はひとりなんだね。」
 黒猫が声を掛けるが応えはない。

 「ええと……」
 なおも言葉を掛けようとする黒猫の腕を母猫が軽くつつき、止めた。

 カフェの女主人がコーヒーを入れる音だけが、店内にやけに響く。

 かちゃりという音とともにカウンターに置かれた白磁のコーヒーカップから、馥郁たる香りが立ち上った。

 深いため息を一つつき、白黒猫がぼそぼそと話し出す。

 「あの子、出て行っちゃったンす。仕事先が決まったんで。何でも、四人家族で誰かしらいつでも家に居るとかで」

 「その話が来たとき、おやっさんはあの子に聞いたンすよね。これこれこういう家でかわいい業する猫を探しているけど行くかって」

 「そんときは、あの子、答えなかったンす。下向いてもじもじしたっきりで。だから、てっきりこのままウチにいるのかと。留守番中のいたずらは相変わらずだけど、そのうちに慣れるんじゃないかって。でも……」

 「三日ぐらい経ってから、『よその家に行きたい』って言って。」

 「おやっさんは『そうか。絶対にかわいがってもらえるから大丈夫だ』って笑って言ってたけど、あれ、無理してたと思う。」

 「それがおとついのことで、その日のうちに新しい家に行っちまいました。で、今日になっておやっさんが、読みかけの本にこんなカードが挟まってるのに気づいたンす。」

 視線をカウンターから離さずに、白黒猫はポケットからカードを取り出して黒猫に渡した。

 「いいの?」

 うつむいたまま白黒猫は頷く。黒猫はカードを裏返した。

 オヤッサン、ニイチャンヘ
 ミジカイアイダダッタケド、アリガトウゴザイマシタ。
 アッタカイオヘヤニイレテクレテ、ウレシカッタデス。
 オイシイゴハン、ウレシカッタデス。
 ヤサシクシテクレテ、ウレシカッタデス。
 ナデテクレテ、ウレシカッタデス。
 イタズラシテ、ゴメンナサイ。
 オヤッサントニイチャンニアエテ、シアワセデシタ。
 フタリノコトハワスレマセン。

 カウンターの向こう側からのぞき込むようにして読んでいた女主人が、静かな声で言った。
 「あの子は本当におやっさんとアンタが好きだったんだね。あんた方気持ちは、十分あの子に伝わっていたと思うよ。ふたりと出会ったことであの子は幸せをつかんだんだ。別々に暮らすことになっても、あの子のなかに深ーく根付いたあんた方との暮らしは一生消えることはないよ。絶対にね」

 彼女の言葉を聞きながら白黒猫はコーヒーを飲み、口元をゆがめた。

 母黒猫がのどやかな口調でオーダーの追加をした。
 「私たち三人に今月のおすすめスイーツ、山羊ミルクエクレアを一つずつお願いします。今日は私にごちそうさせて。」
 何度か目をしばたたかせた白黒猫は、母黒猫に向かって軽く頭を下げた。そして、恥ずかしそうに笑いながら女主人に言った。

 「すンません、やっぱりミルクと砂糖をつけてください」

 「ミルク大盛りでね」

 片目をつぶって請け合った女主人の言葉に、店内の空気がふっと軽くなった。

 ガラス窓の向こうに目をやれば、雨はいつのまにか雪に変わっている。
 明日は、クリスマスイブ。

 すべての猫と、猫を愛する人、そして、みんなが幸せでありますように。

 

 

 会社などに外猫が居着き、かわいがってもらっいるうちに引き取り手が現れて家猫になる、という話を時々耳にします。私の周囲でも何回かありました。猫が幸せをつかむのは嬉しいことだけれど、仲よくなった猫とお別れしなければならなくなった人もいるわけですよね。
 今日の小話は、そんなエピソードをヒントにしたものです。

 アンズが旅立った後、カフェ『縞三毛』小話は終わりになるだろうと思ったのですが、カフェの仲間たちが笑ったり驚いたりちょっとしんみりしたりしている姿を書くことが、私自身の慰めになると思えるようになりました。

 また何か思いついたら書いていくかもしれません。ばかばかしいお話ですが、よろしければおつきあいください。

2015年2月22日 (日)

黒猫マダムの可愛い業入門講座 その2

 前回の続きのおばか小話です。

 

「黒猫マダムの可愛い業入門講座 その2」

 

 「本日ハ、いべんとノタメ貸切デス。
     ドナタデモゴ参加デキマス。
         無料デスガ、本日ノ特別めにゅーヲ注文シテクダサイ。店主拝
 ……なんだこりゃ」

 四日ぶりに訪れたカフェ『縞三毛』の古ぼけたドアに虫ピンで留められた、一枚の張り紙。耳の後ろを掻き掻き、それを見ながら大柄な虎猫はつぶやいた。「貸切イベント」だけれど誰でも参加できて、「無料」としておきながら本日の特別メニューを注文しろと言う。おかしな所だらけな上に、大胆というかデザイン過多というか、斬新すぎて読み易いとはとうてい言い難い字が散らばっている張り紙の2行目を、細い爪の先でたどりながら、彼は重々しく一人つっこんだ。

 「ヘンだぞ、この敬語。」

 見かけによらず繊細な言語感覚を備えた虎猫は、戸を押し開いた瞬間、思ってもいなかった色の洪水に襲われた。狭い店内にあふれる黄、黄、黄……。

 「いちめんのなのはな……」

 遠い昔、どこぞで耳にしたフレーズが思わず口をついて出る。

 「いらっしゃい!」
 「こっちこっち、この席にどうぞ」

 すかさず声を掛けてきたのは、若い黒猫と白黒ハチワレ猫だ。
 カウンターと平行に並べられた五つの椅子、その右端の空き席に、黒猫が虎猫を誘う。
 白黒ハチワレ猫は、カウンター上にずらりと並んだ花瓶や壺やコップなどに、菜の花を生けるのに余念が無い。最後の花瓶、と言っても実際は水差しなのだが、それに入れた花の向きを整え終わると、満足そうに親指を立てた。
 「やっぱ、菜の花にして大正解。黒猫のおばちゃんがぐっと引き立つっす。」

 「……この菜の花は、全部おまえさんが持ってきたのか?」
 「そうっすよ。昨日、山向こうの菜の花畑に、オヤッサンと遊びにいったんすよ、バイクで。そんときに、今日、黒猫のおばちゃんの講演会があるって話したら、オヤッサンが『講演会には花がつきものだから持って行け』って、買ってくれたんで。」

 講演会で飾る花なら、同じ黄色でも菜の花じゃなくフリージアだろう、と言いかけた虎猫だったが「いやいや」と思い直す。すすけた狭いカフェに大量のフリージアはどう考えても似合わない。上品すぎ、華やかすぎだ。それに香りが強くて酔ってしまうかもしれない。「菜の花で正解」と、別な思考ルートをたどりつつ白黒ハチワレ猫と同じ結論に至ったところで、素朴な質問を投げかけた。

 「今日のイベントは、講演会だったのかい」
 「そうだよ。可愛い業入門の講演会。講師はボクのお母さん。ドアのポスター見てくれた?あれ。書いたのボクなんだよ」
 目をきらきらさせて得意げに言う黒猫。一方、講師と言われた母黒猫の方は、菜の花の大群を背負うようにしてカウンターの前に立ち、完全に固まっていた。緊張のあまり、ひげが前の方に倒れてひくついている。

 「いつの間に講演会なんて話になったんだ?」
 虎猫は、左隣に座っている『縞三毛』の女主人と、彼女のさらに左隣にちょこんと座っている赤茶虎の若い猫を交互に見ながら言った。

 「いやね、二月も終わりに近いし、たまにはイベントも楽しいんじゃないかって思ってね。」

 すました顔で言う女主人の説明はほとんど意味不明だったが、虎猫はそれ以上は突っ込まなかった。講師にされた母黒猫には同情しないでもないが、訳の分からないものはそっとしておくに限る。これは、女主人とのつきあいの中で彼が学んだ処世術の一つだった。

 赤茶猫の向こう側には黒猫が座り、さらにその向こう、五つ並んだ椅子の左端に白黒ハチワレ猫が座ると、女主人が咳払いをしながらおもむろに立ち上がった。

 「さて、これから可愛い業入門講演会を始めます。講師は外猫出身で、一年と少し前からこの町で可愛い業をしています。雇い主とのいい関係の作り方について、お話をしていただきます。ではどうぞ」

 ぱたぱたぱた……。猫たちの拍手の音が止み、五組のキャッツアイが、カウンター前に立ちすくむ母黒猫に一斉に向けられた。

 「………」
 「………」
 「………」

 静まりかえった店内に妙な緊張が満ちてゆき……、ボンッと母黒猫の尻尾が膨らんだ。
 ボンッボンッボンッ
 息子の黒猫、白黒ハチワレ猫、赤茶虎の猫がつられて思わず尻尾を膨らませる。
 しかしさすがに年の功。この状況の中、虎猫がゆったりと声を掛ける。
「この町に来た頃の話からはじめたらどうだ」

 母黒猫はほっと浅く息をつき、いつもより高めの声で話し出した。

 「息子と私がこの町に来たのは、去年の1月の終わりでした。その前は遠くの別の町にいて、初めは外猫だったんですけど、ある人が声を掛けてくれて、家に入れてくれました。そこで色々教えてもらって、可愛い業の研修も受けて。その後でこの町に来ることになったんです。」

 「今の雇い主の家で暮らすようになって。でも、場所にも雇い主にも慣れてないからとても緊張して。緊張って言うより、怖かったです。なにもかもが。はじめの何日かは、家具の後ろとかカーテンの裏とか。今考えると寒かったはずですけど、そんなことも気にならないくらい、怖かったんですよね。食事は日に二回、気がつくと部屋に置かれていたんで、雇い主がいない時を見計らって食べていました。」

 「でも、三日目くらいだったか、突然『もしかすると大丈夫かも』って思ったんです。そのきっかけは、ええと……。」

 母黒猫の視線が宙をさまよう。

 「ゴハンだよ、おかあさん!」息子の黒猫が助け船を出した。

 「そうそう……って、別に、ゴハンにつられたとかそういうことじゃなくて、雇い主が、私たちが隠れているところのすぐそばで、ゴハンの準備を始めたんです。」

 「ええ~っ、あのとき、『ご飯くれるかもよ』『いいにおいだね』『どうする?出て行く?』って、話したじゃん、ふたりで」
 息子猫のブーイングを慌ててさえぎり、話を続ける。

 「だから、言いたいのはそういうことじゃなくて。雇い主がご飯を準備して、『ここに置いておくから好きなときに食べなさい』って言ったんです。そのときに何となく、『ここにいても大丈夫かも』って、初めて思ったんですよね。なぜかって言われても困るけど……猫のカンみたいなものだったと思います。」

 それのどこが、『ゴハンにつられたわけじゃない』ということになるのかという点について、突っ込む聴衆はいなかった。猫族は、「言わぬが花」を解する粋な一族なのだ。

 「一度大丈夫かもって思ったら、どんどん大丈夫に思えて、少しずつ雇い主の近くに行けるようになっていったんです。でも、その間もずっと思っていたことが一つあります。それは、して欲しいこと、されたくないことはきちんと伝えるってこと。抱っこされたり撫でたりされたくないときは、逃げたりかわしたりしました。首のあたりをマッサージして欲しいときにはそばに行って座ってみたり。息子の方が遠慮が無くて、遊んで欲しかったり撫でて欲しかったりしたときにはどんどんそばに行ってましたね。そのかわり、抱っこは絶対に嫌だと言って全力で逃げてました。」

 「私たちが何をされたら嫌で、何をして欲しいのか、雇い主に分からせるのって、大事だと思います。」

 「でも、いつでも自分の気持ちだけを通そうとするのもちょっと違うかなって思います。時には、雇い主のキモチを酌むことも大事かも。私、今でも抱っこは好きじゃないですけど、時々は雇い主のリクエストにも応えることにしています。少しだけ。」

 「ええ~っ、ボクは嫌だなあ、抱っこはキライ~。絶対拒否だよう。雇い主のオバサンに寄っかかるのは好きだけどね。でも、お母さんに寄っかかるのはもっと好き」

 「へえ、兄さん、抱っこはキライなんすか。おいらはわりと好きだな。特にオヤッサンがあぐらをかいているときなんか、最高っすよ。」

 「ちなみに、おまえさんは新しい家にどれくらいでなじんだ?」
 虎猫に聞かれた白黒ハチワレ猫は小首をかしげながら記憶をたどり、答えた。
 「2~3時間ってとこだったっすかねえ。オヤッサンの家に入れてもらってわりとすぐに慣れました。」
 女主人が意外そうに言った。
 「おまえさんが雇い主の家に入ったのは、生後六十日くらいの子猫の頃だろう?それなのに、随分時間がかかったんだねえ」
 「おいらだって、緊張することぐらいありますって。そういう奥さんは、どれくらいで慣れたんすか?」
 奥さんと呼ばれて気をよくした女主人は笑顔で答えた。
 「私かい?私はすぐだったよ。家に連れてこられてからすぐ。数秒ってとこだね。」
 「数秒?」
 猫たちはそろって目を丸くした。
 「ありえない」「信じられない」「なんだそれ」
 声にならない言葉があたりをヒュンヒュン飛び交うが、虎猫は少し違った。
 「あり得る。歳を取った今でこそ偏屈なところもあるが、基本、根拠の無い自信にあふれていて妙にフレンドリーだからな、ここの女主人は。」と、内心思った。ようは、怖いものなしということらしい。

 講師をよそに、猫らしく自由に盛り上がるフロアに向かって、母黒猫は遠慮がちに声を掛ける。

 「あのう、話を続けてもいいですか。」

 聴衆の猫たちは、改めて居住まいを正した。

 「ええと、雇い主と一緒に暮らして分かったんですけれど、ニンゲンって、時々落ち込むっていうか、めげることがあるんですよね。理由は分からないんですけど。そういうときは、近すぎない程度の感じでそばに座って見ていると、割と短時間で立ち直るみたいです。そうすると、撫でてもらえたり、いつもよりおいしいゴハンが出てきたりします。」

 「雇い主も私たちも、ウィンウィンのいいことがあるので、ニンゲンが落ち込んでいるときは、これも仕事だと思って放置しない方がいいと思います。」

 「雇い主とのつきあい方で、私が話せるのはこれくらいかな。」

 一通り話し終わった母黒猫は、赤茶猫の顔を見た。

 赤茶猫の方でも、母黒猫を見つめて口を開いた。
 「雇い主との暮らし方については、よくわかりました。でも、雇ってもらえるようにするには、どうしたらいいんでしょう」

 母黒猫は困った顔をする。
 「それはどうなのかな……。私たちも、今の雇い主と一度面接をしたんですけど、そのときには事情がよくわかっていなかったんで、隠れたり、シャーとかフーとか言ってしまって。でも、私たちと一緒に暮らしたいって言われて。」

 「怖くて逃げたりフーフー言っているボクたちを、『可愛いねえ』とか言って、笑って見てたよね、あのときのオバサン。変なニンゲンだな~って思ったから、よく覚えてるんだ。でも、ボクたちを最初に家に入れてくれたお姉さんも、お母さんやボクがすごく怒ったり、飛びかかったりしても、いつも優しかったよね。僕たちが慣れるまでずっと待ってくれてたんだよ」

 「ってことは、要するに、出会いの時も雇われてからも、自然体でいいってことじゃないのかね」
 女主人が言う。
 「私たち猫族は、正直が身上なんだ。まわりの顔色をうかがったり、我慢したりしなきゃならなかったりしたら、それは私たちの暮らしじゃない。」

 赤茶猫がはっとした顔で頷いた。
 「そう、そうですよね。無理をして繕って気に入られても、何にもならない。ありのままの私を可愛いって思う人と出会うことが、大事なんですよね」

 「無理をせずにありのままでいて、猫の直感を信じて、時には雇い主にも少し気にしてあげて……。なんだ、そうか。それならできる、私にも。」

 一言一言を噛みしめるように言う赤茶猫の表情には、もう迷いや戸惑いはなかった。

 「猫は猫らしく、ありのままに」

 女主人が再び立ち上がった。
 「さあ、結論が出たところでデザートにしようかね。本日の特別メニューは三月の限定スイーツのお試し。ヤギミルクのムースセット、サービスでイチゴを添えて、お一人650円。」

 講演会という名のおしゃべり会が終わり、お待ちかねのティータイムが始まる。

 店中に飾られた、なのはな、なのはな、なのはな。
 和やかな猫たちの顔、顔、顔。

 春はもう、すぐそこ。

 

 本日のおさらい 可愛い業の猫的お仕事ポイント
  ① 猫の直感を信じる。
  ② して欲しいこと、されたくないことはわかりやすくはっきりと伝える。
  ③ 雇い主がめげていたら、近くから見守る(見物するとも言う)。
  ④ たまには雇い主につきあう。少しだけ。
  ⑤ 無理はしないでありのままに。

 

「後日談」

 

 「もう、会えないのかなあ、あの子と」

 あの子、赤茶虎の猫は、病院での可愛い業実習の三日めに就職が決まった。
 しばらくの間、雇い主と一緒に旅行に行っていた彼、若犬が赤茶虎猫と会ったのは、結局『縞三毛』での一回きりだった。就職先は分からないという。

 前回同様、カウンターの壁際席に陣取り、若犬に背を向けて座っている虎猫は、それでも今日は耳を後ろに向けていた。

 「縁があればまた会えるだろうよ。あんたの言葉にあの子は励まされてたから、あんたをまるっきり忘れることはないと思うがね、たぶん。」

 「ああ~、ボクの森ガール……」
 カウンターに突っ伏した犬を視界に入れないようにして、女主人は鬱陶しさに耐える。これでも客なのだ、一応。

 カラン。
 そのとき、カフェのドアが開いた。
 「こんにちはーっ、おばちゃん、ヤギミルクムース三つね!」
 入ってきたのは黒猫の親子である。店に入るや否や、叫んだのは息子猫の方だ。二人連れなのに注文は三つ。しかしいつものことなので女主人は気にもとめない。
 「はいよ、ヤギミルクムース三つ。セットにするのかい?」
 「私はミモザティーのセットでお願いします。あんたは?」
 「ボク単品二つ!」
 「はいはい。」

 隣の席に座った彼らを見た若犬は、勢いよく上体を起こした。
 「こんにちはっ。初めまして。よく、ここに来るんですか?」
 「え?ええ、ここにはよくお世話になっていて……」
 「あっっ、もしかして、赤茶虎のあの子に可愛い業のレクチャーしたひとって、あなたですか?」
 「え、あ、ええ。よく知ってますね」
 黒い被毛に覆われた頬を器用にも赤らめた母黒猫を見て、若犬のテンションはみるみるうちに高くなっていった。

 「わ!森ガールとはちょっと違うけど、そう、田園マダム?隣の黒猫君は、弟さん?え?違うの?息子さん!?見えないっ。見えないよ、お母さんなんて。でもいいなあ、こんなに素敵なお母さんがいるなんて。そうだっ、ねえ、今日からぼくも『お母さん』て呼んでもいい?」

 女主人がアルミのお盆で若犬の頭をはたくまで、あと0.73秒。

 

 辺境ブログのためいらっしゃらないとは思いますが、もしもここをご覧になっている方で大型犬と一緒に暮らしていて「ええーっ、うちの子はこんな性格じゃないわ」と思った方がいらしたら、お詫びを申し上げます。

 この犬の性格は、半分はリンリン((慣れると)超フレンドリーなところ)、半分は私(可愛い猫を見るとテンションが高くなって調子のいい言葉がぽんぽん出てくるところ)からできています。

 猫と暮らしていると、「猫になりたい」と思うことがあります。気ままに、自由に、伸びやかに生きてみたいと。それは、制約の多い生活をおくらなければならないでいることの裏返しなのでしょう。

 昨年「ありのままに」というフレーズが繰り返される歌がはやりましたが、それも根は同じなのではないかという気がします。

 とかくこの世はままならぬもの。せめて猫は猫らしく日々を送って欲しいと思います。

 

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 「誰か、藻塩の暴走妄想を、なんとかして!」

2015年2月18日 (水)

黒猫マダムの可愛い業入門講座 その1

 猫の日が近いため、おばか小話をひとつ。長くなりすぎましたので、今日と二十二日にわけます。お暇な折にでも、どうぞ。

 

黒猫マダムの可愛い業入門講座 その一 

 

 カフェ『縞三毛』の女主人は、鼻にしわを寄せながらカウンターで蒸しパンを切り分けていた。二月の限定メニュー、ヤギミルククリームとフルーツを添えて供されるスイーツの台になるそれは、焼き上がったばかりでまだ温かかった。

 今日の客はふたり。ひとりは3度目の来店になる、薄茶色の毛並みが美しい若い大型犬。このカフェでは珍しい犬の客である。特別サイズの限定スイーツを平らげた彼は、カウンターの真ん中にどっしりと腰を掛け、ふさふさの尻尾をゆらんゆらんと振っていた。もうひとりは常連、大柄な雄の虎猫である。こちらは壁際の端の席に座り、若犬とは逆の方、壁を向いて肘をつきながら珈琲をすすっている。彼の尻尾もまた、ぱたんぱたんと振られていた。

 女主人は横目で虎猫を見やる。
 「まったく、大人げが無いんだから、このひとは。少しは若いもんの気持ちを酌んで相手の一つもしてやればいいのに。第一、ウチのすすけた壁をそんな風にしげしげ眺められたら、年末の掃除の手を抜いたことがバレバレになるじゃないか。」

 ほぼ完全に自分に背を向けている虎猫を、それでも若犬は、ちらちらと見つづけている。声を掛けるきっかけを探っているのだろう。が、虎猫の方は蟻の足ほども隙を見せようとはしない。「断固拒否」。黒々とした四字熟語の張り紙が虎猫の背に張り付いているかのようだった。

 店の雰囲気の悪さに、女主人の鼻のしわがさらに深くなった頃、カラン、と音を立てて扉が開いた。
 入ってきたのは全身赤茶虎模様のほっそりとした若い猫だった。大きな耳に大きな緑の瞳、長く優美な尻尾、三人の視線が彼女に釘付けになる。

 「あの」
 小首をかしげながら、赤茶猫が口を開く。鈴を転がすような愛らしい声だった。

 「やあ、初めまして!ここ、空いてるよ」

 すかさず若犬が声を掛ける。しかし、

 「あ、ありがとうございます。でも、私、ここのママさんにお話があって」

 予想外の言葉に何度か目をしばたたかせてから、女主人が応える。

 「あたしがその“ここのママさん”だけど、何の話だね?」
 「あのう、私、いま就職活動中なんですけど、いろいろとうまくいかなくて。困っていたらモフモフ動物病院の院長先生が“ここのママさんに相談したら?”って勧めてくれたんです。それで」
 「へえ、就職活動中なんだ。もしかして可愛い業?キミにぴったりだよね!」
 「どうしたら人に“可愛い”って思ってもらえるかとか、猫の魅力を上手に伝える方法とか……。院長先生は、“猫のかわいさは、外見の愛らしさとかじゃないことを『縞三毛』のママさんに教えてもらったらいい”って……」

 さりげなくも失礼な、院長の推薦の言葉を耳にするや否や、「今度の休みの日に病院のドアで爪を思いっきり研いでやる」と女主人は決意したが、“おとなの女”を自認する彼女はそれをおくびにもださずに笑って言った。

 「難しいことを考える必要は無いよ。あんたくらい可愛かったら……」
 「そうだよねっ。ボクもそう思う。キミ、すっごくかわいいもの、犬のボクでもそう思うんだから絶対大丈夫ッ」
 「話に割り込むんじゃない」
 女主人に睨まれた若犬は舌をぺろりと出す。

 「でも、就職活動を初めて一ヵ月以上経つんです。私の子どもたちはすぐに就職先が決まったんですけど、私だけ全然決まらなくて」
 「えっ?キミ、おかあさんなの?そんな風に見えないね。すっごくかわいいよ。まるっきり女の子だよ。うん、ナチュラルって言うか、森ガール?」
 「店から追い出されたいかい?」
 半疑問系でまたもやくちばしを挟んできた犬に、女主人がすごむ。若犬は肩をすくめて咳払いをした。

 「私、物心がついた頃からずっと外猫だったんです。だから、人とのつきあい方が分からなくて。院長先生が、就職活動をかねて病院で可愛い業の実習をしたらって言ってくださったんです。来週からその実習が始まるんですけど、不安で。」
 「大丈夫だよ!モフモフ病院ならボクも時々遊びに行くけど、あそこの先生も看護師さんもすっごく優しいから全然心配ない!なんならボクも毎日行ってあげるし!」
 病院は遊びに行くところではない、とか、用もないのに毎日来られたらまわりが迷惑、とか、突っ込みどころだらけの発言をした若犬は、「シャーッ」という女主人の鋭い一声で、今度こそ本当に口をつぐむ決心をした、とりあえず。

 赤茶虎猫の方に向き直った女主人は、考え考え言った。
 「あたしは、外猫経験が無いんだよ。だから、人とのつきあい方が分からないってのにはちょっと……」
 赤茶虎猫の視線が床に落ちていくのを見た女主人は、急いで続ける。
 「でも、そういうことなら心当たりがある。ウチの店のお客に、外猫生活を何年かしたあとで可愛い業をやっている黒猫がいるんだ。そのひとならいいアドバイスをくれるかもしれないね。」
 「本当ですか?」
 赤茶虎猫の瞳がぱっと明るくなる。
 「ああ、明日か明後日には店にくるだろうから、話をしてみてあげようね。」
 「ありがとうございます。よかった。安心したら、なんだかおなかがすいてきちゃった。すいません、何かいただいてもいいですか?」
 「それじゃ、ここに座りなよ。ボク、雇い主を迎えに行かなくちゃだから、そろそろ帰るから。それと、頼むんなら二月の限定スイーツがいいよ。絶品だよ、ヤギミルククリームとフルーツ添えの蒸しパン。」
 空の大皿の脇に、蒸しパン1ホール分の代金を置いて、若犬が席を立つ。

 「それとね、キミが魅力的なのは本当だよ。だから自信を持って。キミは選ばれる側じゃない。選ぶ側だよ。いい雇い主を猫の直感で選ぶんだ。そうすればきっと幸せをつかめる。」

 真剣な面差しできっぱりと言い切った毛並みの美しい犬に見つめられ、赤茶虎猫は少し顔を赤らめた。
 「ありがとう……、そんな風に言われると、嬉しい」

 「じゃね。ボク、この店がお気に入りだから、きっとまた会えるよね。グッドラック!」

 ふさふさの毛を振りたてながら、若い犬は体の大きさに似合わない俊敏さで店を出て行った。

 「あいつら犬族は、結局最後はおいしいところを持って行くんだよな」
  虎猫がぼそっと口にしたぼやきを、店自慢のスイーツを褒められて機嫌が上向きになった女主人は聞き流して言った。

 「それじゃ改めて、“いらっしゃい”」

 

 赤茶虎猫のモデルは、アンズがお世話になっている病院で猫親さん募集をしていた猫さんです。本当にきれいで愛らしい猫さんでした。

 すぐに猫親さんが決まったので一度だけしか会えませんでしたけれど、印象的だったので小話に出てもらいました。

 赤茶虎猫さんと言えば、アンズ・リンリンの保護主さんのお家に新たに迎えられた猫さんも、赤茶虎だそうです。

 リンクから、ろんぷさんのブログに是非どうぞ。

 こちらの猫さんもたいそう愛らしくて素敵です。

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「今回は、ボクたちの出番は無しなわけ?」

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「いいじゃないの。一休み、一休み」

次回はがんばってもらうからね。特にアンズ。

 

 

 

 

 

四月七日追記

ろんぷさんと一緒に暮らしていた茶虎猫さんが、虹の橋を渡っていきました。

ろんぷさんと一緒の日々は、短かったかも知れませんが、猫さんにとって安心できる幸せな日々だったと思います。

はにさん、向こうでガチャ子さんに会ったら、どうぞよろしくね。

2014年11月24日 (月)

晩秋の夕暮れに

 季節のご挨拶代わりのおばかな小話です。よろしかったらどうぞ。

 

 

 ディーゼルエンジン特有の振動に、いつの間にか眠りを誘われていたらしい。はっと目を覚ました女は、いささか慌てて列車の窓から外の景色を確かめた。
 大丈夫、乗り過ごしてはいない。安心して傍らに目をやると、息子は窓に頭を寄りかからせてぐっすりと寝入っている。久しぶりの行楽、はしゃぎすぎて疲れたのだろう。いくつになっても子どもは子ども、と、女はアーモンドアイの目元を和らげ、柔らかで黒い被毛に覆われた手で、ゆっくりと息子の耳の後ろを撫でた。息子の耳が、ひくん、と動いたが目を覚ます気配はない。彼女、黒猫の女は快い疲れを身体に感じながら、親子水入らずで楽しかった1日のあれこれを思い返した。

「まもなく、猫坂町に到着します。お乗り換えのご案内をいたします。魚取り方面へおいでの方は、降りたホーム反対側、3番線から17時20分発の……」

 のんびりしたアナウンスに促され、そこここの乗客達が荷物棚に手を掛ける。
 女の前の座席に座っていた若い男もすっと立ち上がり、棚の荷物、作りの良い大きめの革鞄を軽々と下ろした。薄茶色の被毛、すらりとした細身と優雅な仕草が育ちの良さを物語っている。彼は自分が座っていた座席に鞄を下ろすと、通路に立ちながら荷物の整理を始めた。さした物音も立てずに手際よく片付けていく。
 その若猫には連れが居た。座席の背もたれに遮られているため顔は見えないが、女のようだ。彼女の方は席に座ったまま、荷物も網棚に載ったままだった。若猫に向けられた白い耳だけがまっすぐな背もたれのへりの上に見えている。若猫の顔を見ているらしいことは、耳の角度から知れた。

 軽い音をたてて鞄のジッパーが閉じられる。荷物の整理は終わっても、若猫はそのまま通路に立ち、座る素振りを見せない。そのとき、背もたれの陰から白い左手が伸びてきて、若猫の上着の端を握った。
 若猫は、微笑むでも、眉を下げるでもなく、その左手を両手で包み込むと自分の上着から外した。頼るよすがをなくした白い手が、宙に取り残される。

 徐々にスピードを落としていた列車が、摩擦音を立てて止まった。到着を知らせるアナウンスが流れる中、若猫はゆっくりと、しかし大きなストライドでひとり、荷物片手に出口に向かって行く。
 その背を追うように、通路に身を乗り出し見送る白猫の横顔が、黒猫の視界に飛び込んできた。それは一瞬のことだったが、若猫よりは年嵩とおぼしき優美な顔、そこに浮かぶ憂いの影が、残像のように黒猫のまぶたの裏に焼き付いた。
 白猫は、若猫の姿が扉の向こうに消えるや否や窓にしがみついた。おそらくは食い入るように見つめているであろう彼女を一度も振り返ることなく、若猫は跨線橋へと続く階段を昇り、去って行った。

 ゴトン。
 重たげな音とともに再び列車が動き出す。随分と人少なになった車内。二人がけの座席にぽつりと座る白猫のかすかなため息を、黒猫の耳が捉える。

 何が起きたわけでもない、何か特別なことを見たわけでもない。けれども、白猫の思いに共鳴するなにがしかの感情が黒猫の中でざわめく。黒猫は、いたたまれないような気持ちで窓の外に目を向け、夕暮れに沈む山々のシルエットを眺めやった。

「おかあさん、あと、どれくらい?」
 ぼんやりと物思う黒猫の意識を呼び戻したのは、くぐもった息子猫の声だった。
「ああ、次よ。あと10分くらい」
「そう。なんだかよく寝ちゃった」
 息子猫は両手を前方に伸ばし、ぐぐっと背を丸めてのびをした。そして今度ははっきりした口調で
「わあ、もう暗くなっちゃったねえ。日が落ちるの、早いなあ」
「そうだね」
 窓に押しつけられたせいでついた、息子猫の顔の寝癖を直しながら黒猫は思う。
 なくしてしまったもの、手が届かなかったもの、たくさんあるけれど、それでもこうして手の中に残ってくれるものもある。それを本心から大切に思える、そういう幸せもあるのではないかしら。

 幸せの幅って、存外広いもの。今は辛くても、そのうちに気づく。きっと、あなたも。

 それは、密やかに贈られた、黒猫から白猫へのエール。

 

「うわーっ、赤にオレンジ、黄色……、きれいっすねえー。帰ったらオヤッサンに見せなくちゃーっ」
「あと、これも拾ってきたんだ。良かったらどうぞ」
「わわ、ドングリだ。うれしいっす!!つやっつやじゃないっすかーっ。これ、転がして遊ぶと面白いんすよねーっ。」
「うん。ぼくも大好き。昨日も夜中に走り回って遊んでたら、オバサンに怒られちゃった」
「あっははっ。無理無理。丸くて転がるものが目の前にあったら、おれら猫族にブレーキなんか利かないッすよ。雇い主ならそれくらいのこと、わかっててくれなきゃあ」
「だよねー」

 翌日の昼下がり、カフェ「縞三毛」はいつになく賑やかだった。カウンターの端では小旅行の土産を前に、息子猫と白黒ハチワレ猫が盛り上がっている。

 少し離れた席からその様子を眺めているおとなの猫たち、母猫とカフェの女主人、それに常連客の虎猫それぞれの前に置かれた小皿には、これまた小旅行土産のマタタビサブレが乗せられている。

「紅葉にドングリ、秋の恵みをお土産になんて、坊は存外細やかなところがあるじゃないか」
 お茶の用意をしている女主人の前にも、色鮮やかな楓や銀杏の葉が置かれていた。虫食いの跡もシミもないその落ち葉も、息子猫からの土産だった。

「ほんとにね。元気がいいだけが取り柄のおっちょこちょいのように見えて、ポイントポイントは外さない。まったく誰に似たんだか」
 カウンターに寄りかかって息子とその友人をながめていた母猫の口からこぼれ出た言葉の後半は、半ば独り言のようだった。
 めずらしいこともあるものだ、と女主人は思った。この町に来る前のことを、母猫が自分から話題にすることはほとんどない。なにかあったのか―。話しやすいように水を向けたものかどうか……逡巡しながら、ポットのお茶をマグカップに注いでいた女主人の手が突然止まった。
「坊主の親父さんてのは、どんな猫だったんだい?」
 ぶしつけなまでにストレートな質問をしたのは、コーヒーカップを手にした虎猫だった。
 まったくこのひとは、いくつになっても気遣いってものができないんだから。この、噂好きのミーハー親父が。
 女主人は密かに腹を立てながら睨んだが、当の虎猫は全く気づかない。

「あの子の父親ですか?私たちと同じ黒猫でしたよ。」
「やっぱりドングリ眼かい?」
「そうそう、ドングリ眼でボンボン尻尾。あんまり大柄な方ではなかったかな」
 女主人の心配をよそに、母猫はさした抵抗もない様子で話し始めた。

「木登りは私の方が得意でしたね。そのかわり逃げ足の速いことと言ったら、町内でも有名でしたよ。」
 誰かに追いかけられて必死に逃げる元夫の姿を思い出したのだろうか、母猫はころころと笑った。
「私みたいな年上を女房にしておきながら、若い子も好きで。もてもしないのに、やれ三丁目のミケ子がどうの、一丁目のサビ恵がどうのって。まあ、彼はまだ若かったから仕方がないって、今ならそうも思えるのだけれど、当時は随分ケンカもしましたね―。あ、でも、息子が生まれたときには、切り身の魚の端っこを差し入れてくれました。どこでどうやって手に入れたんだか。」

「優しいところもあるんだな。」

「そうですね。お調子者だったけれど優しかったと思いますよ。でも……、あの子が生まれて少したった頃に、どこかに行っちゃいました。一人で。」

「……そうか。男には、そうしたところがあるからな」

「その頃にはもう、あの子の弟妹がお腹の中に居たんですけれどねえ」

「ほい、ミモザティー、お土産のお礼だよ。こっちは坊と、いるか便の子の分」
 女主人が、適度にさましたミモザティーのカップを三つ、母猫の前に置いた。

「あらあ、すいません。ありがとうございます。……ほら、これはあんた達の分。お礼を言ってね」
「「アリガトウゴザイマース」」
ふたりの男の子の声がきれいに重なる。

「ねえねえおかあさん、今日のお礼にね、今度、ススキを取ってきてくれるって。すごいんだよ、この子のオヤッサン、バイクで遠乗りに行くんだって、そいでね、サイドカーに乗って一緒に行くんだって」

 バイク、サイドカー、遠乗り、ススキ……息子猫は、自分の生活圏にはない単語が白黒ハチワレ猫から次々と出てくることに興奮したようで、言葉がうまく続かない。けれども、母猫はゆったり笑って受け止める。

「雇い主さんと一緒にバイクで遠乗りに行くのね。サイドカーに乗って。ススキのある所って言うと、山かな?」

「そうっす。オヤッサン、山ん中の寺とか神社とかが好きなんで。んで、写真を撮るんすよ、ものすごくいっぱい」
「おまえさんの雇い主は、写真家かい?」
 虎猫が尋ねる。
「や、そうじゃないッす。でも、仕事に使うとかで。おいら、オヤッサンの仕事のことはよくわかんないんすけど。一眼レフ、とかいうでかいカメラ、バイクに乗せていくんすよ、いつも。」
「そうだ、できたら、私にもススキを持ってきておくれよ。店に飾りたいんだ」
「合点承知の助!とびっきりのススキを持ってまいりやす!」

 突然飛び出した古めかしい言い回しに、猫たちの笑い声がはじけた。

 

 母猫は知らなかった。この町に移り住むために故郷を離れた日、寒風が吹き抜ける駅のホームで列車を待つ彼女と息子猫を、線路脇の高台の上、ケヤキの陰から静かに見送る猫がいたことを。
 息子猫の方はそれに気づいたのだけれど、木の陰の猫が、片目をつぶり口に人差し指を当てて「シッ」という仕草をしたために母猫に言いそびれたことを。
 そして、空高く流れゆく雲を眺めるたびに、息子猫がそのボンボン尻尾の猫を思い出していることを。

 あれから10ヶ月。また、冬がやってくる。

  ※小話シリーズは、1年前の設定で書いています。

 

 

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 「ワタシの元ダーリンをねつ造するの、やめてくれない?」

 ごめんごめん、リンリンを見ていたら、つい。

2014年7月20日 (日)

向暑の候

 超大型台風や五十年に1度の集中豪雨など、空梅雨だった前半とは大違いの梅雨後半。梅雨明けの話もちらほら聞こえてくる中、私の頭にもカビが生えたのか、またおばかな小話が浮かんでしまいました。
 梅雨の鬱陶しさが倍増しそうな気もしますが、よろしかったらどうぞ。


 バタバタバタッ。
 突然わき上がってきた黒雲が空を覆ったかと思うと、強い雨が降り出した。道路や街路樹、家々に、大きな雨粒がたたきつけられていく。カフェ『縞三毛』の女主人は急いでガラス窓を閉めて回った。湿り気で重くなった空気が出口を失い、ほの暗い店の中に満ちていく。水気を含んだ被毛の鬱陶しさに顔をしかめながら除湿スイッチを入れると、古いエアコンが不承不承動き出す。
 窓の外の暗い空を稲光が切り裂いた。反射的に目をつぶるとすぐに、ドドーンッと、大音響があたりを包む。梅雨の終わりによくある、昼下がりの豪雨である。

 「くわばらくわばら」
 女主人が首をすくめた時、目の前に空の皿が突き出されてきた。
 「おばあちゃん!ヤギミルクプリン、お代わり!」
 「お・ば・ちゃ・ん」
 1音1音区切りながら言い返す彼女の向かい、カウンターを挟んだ反対側には、若い黒猫が目をきらきらさせて座っていた。彼は雷など全く気にならないようだ。

 「ウチの店自慢のヤギミルクプリンを気に入ってくれたのは嬉しいけれど、デザート三つはいくならんでも食べ過ぎじゃないか。おっかさんに知られたらどう言われるかね」

 「平気だよう。だって今日はエステの日だから、おかあさんはご機嫌にきまってる。ボクがここで何を食べたかなんて、気にしないよ、きっと。ね。お願い。あと一つだけ。」

 「エステって……、ようはコーミングとマッサージだろう?普通の。」
 「よく知ってるね。雇い主が時々してくれるんだけど、ボク、しつこいコーミングはイヤだから逃げてきちゃった。ちょっとだけなら気持ちいいけど、長くされると噛みつきたくなっちゃうんだよね。」
 「ああ、わかるわかる、私もそうだった……、じゃなくて、プリンだけど、あと一つだけも何も、次が本当に最後の一つ。これでおしまいだからね」
 念を押しながら、女主人はプリンの皿を黒猫の前に置いた。乳白色のつややかな菓子が、薄緑色の楕円の皿の中でふるりと揺れる。

 「いただきまーす!」
 言いざま、黒猫が銀の平たいスプーンをプリンに差し入れたとたん、カフェの扉がバンッと音を立てて開いた。

 「いるか便でーす!」
 勢いよく開いたドアから、小柄な猫が雷光を背負って飛び込んできた。白黒ハチワレの猫だ。とは言っても、白い部分は鼻と口のまわりだけ。ほとんどはつややかな黒い被毛で覆われていた。
 全身ずぶ濡れで、仕事用のジャンパーにくるんだ小荷物を抱えている。

 「ご苦労さん、こんな雨の中を。びしょ濡れじゃないか」
 女主人はタオルを片手にカウンターから出てくる。
 「あ、すんません。ぬれないように二重にしているから大丈夫だと思うけど」
 白黒猫は借りたタオルをカウンターの端の方に広げ、ジャンパーから出した荷物をその上にそっと置く。そしてビニール袋に包まれたそれを借りたタオルで丁寧に拭こうとした時、女主人がため息をついた。
 「そっちは後回し。荷物は風邪なんかひきゃしないんだから。それより自分をなんとかおしよ」
 もう一枚、タオルを白黒猫に手渡す。
 「あ、や、すんません。おいらは大丈夫だけど」
 「ごたごた言わない。猫に水濡れは禁物」
 女主人はメッと叱り、床の上に無造作に置かれたジャンパーを取り上げて軽く水滴を払うと、入り口近くにあるコート掛けにかけた。ジャンパーの背には「Dolphin Transport」の文字といるかのシルエットが描かれている。縦横無尽に川が流れ、道路よりむしろ水路が発達したこの町で重宝されている、宅配便会社の制服だ。

 いるか印……モーターボートで荷物を運ぶ会社で働いているんだ、この子。
 黒猫は、まじまじと白黒猫をみつめる。
 「すんません。」
 そんな黒猫のまなざしに気づくこともなく、タオルでごしごしと頭を拭きながら白黒猫が礼を言う。
 「気にしない気にしない。どうせこの雨だ。川のボートまで戻るのは無理だろう。少し休んでお行きよ。今、温かい飲み物を入れるから。おあしは気にしなくて良いからね。」
 「やや、いいですよ、そんな、悪いッすよ」
 「そういうときにはね、アリガトウって言っておくもんなんだよ。覚えておおき」
 女主人は、慌てる白黒猫を横目で見ながら笑って言った。

 「あ、アリガトウゴザイマス」
 言いながら、それでも白黒猫は自分の身体を拭くのもそこそこに、荷物をくるんだビニール袋の水滴を拭きとって点検を始める。その背がまだぬれているのに気づいた黒猫は、カウンターに置かれたタオルを取り上げて優しく拭き始めた。
 「え?あ!」
 白黒猫が、驚いて振り返ろうとする。それを押しとどめて黒猫は言った。
 「いいよ、キミは荷物の方を先にみちゃいなよ。背中はボクが拭いてあげる」
 「や、やや、すんません、じゃなくて、アリガトウゴザイマス」
 白黒猫は戸惑ったように、照れたように笑い、再び荷物の点検に取りかかった。

 荷物を拭く白黒猫を拭く黒猫。背中側から見るとまるで兄弟のようにそっくり。そんなふたりのやりとりを目の端にとらえながら、女主人はふふっと笑った、手を動かしたまま。

 「ほい。縞三毛特製ミモザのハーブティー。舌をやけどしないように気をつけてお飲み」
 コトリという音をたてて、白黒猫の前に薄緑色のマグカップが置かれた。

 「アリガトウゴザイマス」
 今日何度目かのお礼を口にして椅子に座り、白黒猫はカップを手にした。
 「ああ、あったかい。生き返るなあ。雨が降り出してすぐに気温が下がってきて、やな感じだったんすよ。ひどい降りで傘も役に立たなくてびしょぬれになっちゃったし。ありがたいなあ……」
 目を細めて鼻をひくひくさせ、香りを楽しみながらゆっくりとお茶を飲む白黒猫に、黒猫が声を掛けた。
 「ねえ、キミ、モーターボートで荷物を運んでいるんだよね?すごいね。水は怖くないの?」
 「や、それほどでも」
 いかにも興味津々な黒猫の様子を面白そうに眺めながら、白黒猫は答える。
 「最初はちょっと怖かったっすよ。けど、すぐに慣れました。おいら、速く走るのが大好きなんで。あ、いや、走っているのは自分じゃなくてボートっすけど」
 「ボクも走るのは大好きだけど、水の上はちょっと無理だなあ。ねえ、どうやって宅急便屋さんになったの?」
 問われて、白黒猫はカップをカウンターに置き、黒猫の方に向き直った。
 「おいら、はじめは可愛い業やってたんすよ。でもね、ちょっとしたことでもすぐ興奮しちゃって、家の中を走り回っていたら、雇い主のオヤッサンが『そんなに走るのが好きなら、いるか便やってみるか?』って。いるか便の支店長を紹介してくれました。」
 「可愛い業、やってたんだ」
 「今も本業はそっちなんで。おいら、赤ん坊の頃にオヤッサンに拾われて、それからずっと可愛い業やってて。いるか便は週二日のバイト。本業の可愛い業も週二日。バイトと本業が半々ってのも変なンすけど」
 あはは、と白黒猫は笑った。
 「ちっちゃいころからひとりで可愛い業やってたんだ。偉いね」
 「そんなことないッすよ。猫なんてみんなそうじゃないかなあ。兄さんも可愛い業?」
 「うん。今年の冬の終わりからだから、まだ五ヶ月ってとこ」
 黒猫は少しうつむきながら答えた。
 「そうすかあ。でも、兄さん、可愛い業って感じッすよね。向いてるんじゃないッすか?」
 「そんなことないよ。はじめの何日か、緊張して怖くて、棚の後ろから出られなかったんだ。ゴハンにつられて出てきちゃったけど」
 「あっはっはっ、わかるわかる、おいらたち猫族は、ゴハンにゃ弱いッすからね~」
 大笑いした白黒猫の腹が、ぐぐうっと鳴った。
 「お腹、すいているの?」
 「いやあ、今日は朝から忙しかったから。」
 白黒猫が照れて笑う。そこへ、スプーンがささったままのプリンの皿が押し出されてきた。
 「あの、よかったら食べない?スプーンをさしちゃったけど、まだ口はつけていないから。」
 白黒猫は慌てて手を振る。
 「や、そんなわけにはいかないっす。これ、兄さんのおやつでしょうが?おいら、自分で注文しますから。」
 「これ、今日の最後の一つなんだよ。ボクはもう、たくさん食べちゃったの。だから、どうぞ。」
 「やや、そういうわけには」
 「じゃ、さ、半分こしよう。おばちゃん、お皿と、スプーンもう一本くれる?」

 黒猫は、女主人が差し出した新しい皿に手際よくプリンの半分をのせ、新しいスプーンを添える。
 「はい、どうぞ」
 「え、えっと……、じゃあ、遠慮なく。アリガトウゴザイマス」
 カウンターに並んだ若い猫たちは、仲良く並んで半分ずつのプリンを平らげ、どちらからともなく目を合わせて笑った。

 初夏の通り雨は、到来も唐突だが、去りゆくのもまた速い。
 「おや、雨が上がったようだね」
 窓の外を見やりながら女主人が独りごちた。耳ざとくそれに反応した白黒猫が立ち上がる。

 「ほんとだ。行かなきゃ。もう一件お届け物があるんだ」
 女主人からサイン済みの伝票を受け取って、乾いたジャンパーを羽織り、白黒猫はぺこりと頭を下げた。
 「ママさん、兄さん、ありがとうございます。ごちそうさまでした。」
 そして、にぱっと笑ってこう言った。
 「スピード、親切、丁寧がモットー、いるか便をまたよろしくお願いしまーす!」
 


 白黒猫が出て行ったカフェ。エアコンの運転音だけが響く店内。その空気を変えるかのように、女主人が黒猫を冷やかした。
 「珍しいねえ、坊がおやつを誰かに分けるなんて」

 けれども黒猫は、それに対しては答えずに、ぽつりぽつりと話し始める。

 ボクねえ、ちょっとの間だけ弟妹がいたことがあったんだ。この町に来る前のことだけれど。

 ボク、ちっちゃいころはおかあさんと一緒に外で暮らしていたんだ。でも、優しいお姉さんがボクたちをお家に入れてくれてね。初めてのお家ができたんだよ。
 そのとき、おかあさんのお腹には赤ちゃんがいて、しばらくして生まれたんだ。ボク、お兄ちゃんになったんだよ。弟や妹はすごく可愛い子たちだった。みんなぼくに似てた。

 ボクは、おかあさんのお手伝いをして、弟たちをかわいがったんだ。舐めてあげたり、抱っこして温めてあげたり、危ないことをしないように見ていてあげたり。
 楽しかったなあ、おかあさんと、ちっちゃな弟や妹と、ボクと。

 でもね、弟たちは本当に可愛かったから、すぐに新しいおうちができたんだ。今もそこで「可愛い業」やってるって聞いてる。

 弟や妹たちと、いるか便のあの子、同じくらいの歳だと思う。

 ボクは、今もおかあさんと一緒だけれど、弟や妹はひとりでがんばっているんだよね、あの子みたいに。

 えらいよね……。

 女主人は、白黒猫が飲んだハーブティーのカップを洗いながら応じた。
 「まあ、たしかに坊は甘えっ子で、お世辞にもしっかりしているとは言えないしねえ。」

 「わかってるよ。わかってるけど、ひどいな、そこまではっきり言わなくってもいいじゃん」
 黒猫はぷうっと頬を膨らませる。
 けれども、女主人はそんな黒猫の様子に頓着せず、続けた。

 「だけどね、子どもたちがみんな独立して、それぞれ幸せをつかんだってのは、おっかさんとしては嬉しいだろうけれど、どこか寂しい気持ちもあるんじゃあないかね。特に坊のおっかさんは寂しがり屋だからねえ」
 「おかあさん、寂しがり屋なの?」
 「ああ、かなりのね。だから、坊ひとりだけでも側に残ってくれて、嬉しいと思っているんじゃないのかい」

  「そう、なのかなあ」
 黒猫は、合点がいきかねる表情で女主人の顔を見つめた。
 「それぞれが生きる道はそれぞれだし、それぞれが背負わなければいけない荷物もそれぞれなんだよ。坊は今、ここでできることを大事にして、坊の生きる道をまっすぐに歩いて行けばいい。他人と比べたって、意味は無いよ。途中で迷ったり、背中の荷物が重くなったりしたら、下ろしてしばらく休むんだ。元気が出たら、また背負って一歩一歩、歩いて行けばいいんだよ。」
 そして女主人は、黒猫の頭にぽふんと手を乗せて言った。
 「今はまだ解らないかも知れないけれど、甘えている側が実は支えになっていた、ということは、珍しいことじゃないんだ。」

 「甘える側が支えになる??」
 甘える側ってボクのことだよね。ボクが支えになる?おかあさんの?今朝だって、ゴハンの後にはしゃぎすぎて怒られたのに……。
 黒猫は考えた。真剣な顔で考えた。あまりにも真剣になりすぎて寄り目になっていることに気づかないくらいに。

 すべての洗い物を済ませ、カウンターもきれいに拭きあげた女主人が、きっぱりと言った。
 「さて、ランチタイムは終わりだ。一度店を閉めるよ。おっかさんのエステもそろそろ終わりじゃないのかい?あんまり遅くなると、また心配するよ」
 「うん。なんだか今日はとてもゆっくりしちゃった。ありがと。プリン三つで900円だよね、おばあちゃん」
 「お・ば・ちゃ・ん!」
 黒猫が差し出した硬貨を受け取りながら、女主人はカウンターから身を乗り出して訂正する。
 「ごめん、おばあ、おばちゃん。また来るね」
 「ああ、またおいで。水たまりで転ぶんじゃないよ」

 肩越しに笑顔を見せながら手を振り、黒猫はドアからすり抜けていった。が、カフェの木の扉が閉まるや否や、「ひゃああっ」という高い悲鳴が聞こえてくる。
 「いってるそばから……、あれは泥水に足を突っ込んだね」

 タオルを借りに戻ってくるかも知れない、という女主人の予想は外れ、黒猫はそのまま帰って行ったようだった。
 「さて、私も一息入れるかね」
 女主人は、入り口の掛札を「closed」にするためにドアを開けた。鼻孔に、雨上がりの透き通った空気が入り込んでくる。彼女は小さなくしゃみを一つした。

 本格的な夏が来るまで、あと少し。



 ろんぷさんに保護された時、アンズのお腹に赤ちゃんがいたのは本当のことです。そして、幼い弟妹の面倒を(意外にも)リンリンがよくみていたことも。愛されて育つと、愛し方も身につくというのを地で行く感じですね。なお、ろんぷさんの配慮で、生まれてきた子猫たちは皆幸せをつかんだのでした。

 いるか便の猫のモデルは、黄色い鞄を持ったアメリカアニメのキャラクターです。白黒ハチワレ猫の方がくだけていますけれど。

 それと、いるか印の宅急便と猫とモーターボートにピンとくるところがあった方へ。そうなんです。あの物語の設定も参考にさせていただきました。白黒ハチワレ猫はきっと、あの物語の猫たちに憧れていると思います。

 甘える側が支えになっている、というのは、猫暮らしをする私の実感です。
 アンズやリンリンにはたくさん甘えて欲しい。その分私がしゃんとして生きていかれるように。

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 「あんなこと言ってるよ~」

 「やっぱ藻塩はへたれだね~」

2014年4月 1日 (火)

エイプリルフール

  4月1日はエイプリルフール、ということで、おバカな小話です。今日という日に免じてお許しください。




「4月1日、午後のこと」

 薄青の空の下、桜の花が風に揺らめく四月。ランチタイムを過ぎたカフェ「縞三毛」には、のんびりとした雰囲気が漂っていた。年季の入った店の、これまた年季の入ったユニーク柄の女主人と常連客の虎猫は、カウンター越しにとりとめの無い会話を交わしている。
 女主人が、ランチ用プレートの最後の一枚を洗いかごに収めた時、カフェの戸が開いた。

 カラン。音と共に店に入ってきたのは、丸顔にアーモンドアイの女である。女はふた月ほど前に、この静かな町の住人となった。一人息子と一緒に。

 「こんにちは」
 彼女は、虎猫から二つ離れた席に座りながら注文する。
 「ヤギミルクセットを一つ、お願いします。」

 「おや、今日はひとりかい」
 女主人が、返事の代わりに尋ねた。
 「ええ。最近あの子は、昼休みになると窓辺でよく寝るんです。陽気が良くなったせいかも。」
 「あの坊がデザートより昼寝かい。珍しいこともあるもんだ。」
 紅茶とロールケーキの準備をしながら、女主人はおかしそうに言った。
 「若い子ってのは眠たがるもんなんだよ。特に季節の変わり目にはな。」
 さりげなく虎猫も会話に交ざる。

 「ほい、四月の限定メニュー、ヤギミルクセット」
 女主人が女の前に、ロールケーキと紅茶のカップを置いた。

 クリームたっぷりのロールケーキに、細い銀のフォークが差し入れられる。ケーキを口にした女は目を見開き、思わず独りごちた。
 「おいしい。」

 「八木牧場の特製ミルクを使っているからね。紅茶のミルクもそうだよ。」
女主人は満足そうに答える。

 ゆっくりとロールケーキを味わった女は、ヤギミルクで薄茶色になった紅茶を一口飲んでため息をついた。そして柔らかな黒の被毛に覆われた手でほおづえをつく。

 そのぼんやりとした表情に目をとめた女主人が声をかけた。
 「どうかしたかい」

 「いえ、たいしたことじゃないんですけど……」

 「勤め先で何かあったのかい」

 「そうじゃないんですけどね」

 しばらく間をおいて、女は話し始めた。

 「今年の春、猫が出ている映画が封切られたじゃないですか」

 「ああ、宅急便の映画と時代劇だろ」
 虎猫が応じる。

 「そういえば、ウチのお客さんが観に行ったとかいってたね。時代劇の方だったか」
 洗いかごのランチ用プレートを丁寧に拭きあげながら、女主人が言った。
 「なんでも、白猫の演技がたいしたものだったそうだよ。猫の魅力にとりつかれる人間がまた増えそうだとか。」

 「あ、いえ、その映画じゃなくて。」

 「宅急便の方は、猫俳優じゃあなくて、CGなんだろ?そっちのできも相当良かったと聞いたが」
 そう言った虎猫に、女は緑の瞳をまっすぐに向けて言った。
 「確かに、CGとしてはとてもすばらしいと思います。動きも表情も。ただ」

 「ただ?」

 「昔のアニメ版とあまりにもイメージが違いすぎて」

 「そりゃ仕方ないんじゃないか。今度のは実写版だ。猫だけアニメ風だったら合わないだろうし」

 「そういうことじゃないんです」

 女の顔は真剣だった。

 「黒猫と言えばジジ。アニメのジジは、黒猫の魅力を世間に広く知らしめた特別な存在なんです。そのイメージはものすごく大事なんです、私たち黒猫にとって。」

 女の勢いに押され、虎猫はたじろぐ。
 「うん、まあ、そうなんだろうが」

 「なのにっ」
 バンッ。女は、古びたカウンターに両手をついて言いつのった。

 「目が、目がっ」

 「目が?」

 「ドングリ眼じゃないんです!!」

 「………」
 「………」

 あっけにとられた虎猫をよそに、女主人は半眼になった。

 「つまり、CGのジジがドングリ眼じゃないのがいけない。イメージが壊れると。」

 「そうです!そう思いませんか!?」

 「いや、その」
 もごもごと何かを言いかける虎猫の言葉は、女の耳には届かない。

 「この町に来る前、ウチの子はジジって呼ばれてたんです。今だって会う人みんなに『ジジみたいで可愛いね』って言われてるのにっ」
 女は拳を握りしめながら、力強く言い切った。
 「ウチの子と似ていないジジなんて、ジジじゃありません!!!」


 ドングリ眼の黒猫の愛らしさをひとしきり語った女は、「昼休みが終わる」と言いながらぱたぱたと帰って行った。

 後に残された年上の猫たちは、女が出て行ったドアをしばらく見つめた後、図らずも同時に深いため息をついた。

 「黒猫ってのは愛情深いとは言われてるが、それを遙かに超えるおふくろさんだな。」
 「あれだもの、坊がいつまでも子猫気分が抜けなくても、責められないやね。」

 女主人の言葉に頷きながら、虎猫は言った。
 「だがなあ、おれたち猫族は、ずっと親子一緒に居られる方が珍しいんだよな……。その幸せを味わうのも悪くはないんじゃないか。」
 「そうさねえ……」
 女主人は、女との会話を思い返しながらふふっと笑って考えた。

 明日は親子そろってくるかも知れない。もしもそうなら、息子猫には少しロールケーキを厚めに切ってやろう。そうすれば、母猫の方も自分の分をゆっくり楽しんで食べられる。なに、ほかの客の分を少しずつ薄くすれば問題は無いさ。

 ドングリ目をさらに大きくして夢中でケーキを食べる黒猫の息子の姿を想像しながら、女主人は窓の外に目を向けた。

 春の日はまだ短い。夕方の気配が少しずつ混じり始めた風が、静かな町の静かな通りを吹き抜けていった。




 宅急便の映画、実は観に行っておりませんが、予告編を見て感心しました。よくできたCGだと思います。あれはあれで可愛いのですけれど、もしも先に作られたのがアニメではなく実写版だったとしたら、リンリンは「ジジみたいで可愛い」とは言ってもらえなかったでしょう。

 そう思った時に浮かんだ小話でした。

 いえ、ジジのイメージがどうあれ、リンリンは可愛いのですが。

 なお、黒猫親子は一緒にこの映画を観に行きました。息子猫は大喜びでしたけれども、母猫の方はジジの目が気に入らなくて鼻にしわを寄せながらマタタビ味のポップコーン(Sサイズ)をもしゃもしゃ食べながら観ていたのでした。
 息子猫のポップコーンは当然Lサイズです。

 黒猫親子の昼休みは、12時から3時までです。そういう契約なので。ちなみに週休4日の勤務です。

 (どうでもいい設定だけが増えていく……。)

 

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  「断っておきますけれど、私は親バカなんかじゃありませんから。あの母黒猫は藻塩の妄想なんですからね。」

 そう?
 引っ越し当時、リンリンが側を離れるとすぐに「こっちに来なさい!」って呼び寄せたり―。
 リンリンにゴハンをねだられると自分の分をあげちゃったり―。
 リンリンが爪切りイヤさに大騒ぎをした時に、わざわざ側に来て私のことを睨んだりしたのは……。
 どなたでしたっけ?

 「それはすべて母の務めです!(きっぱり)」

 

2014年1月27日 (月)

引っ越しから1年

 今日はアンズ・リンリンの引っ越し記念日。

 あっという間の1年。素敵な日々をありがとう。これからもよろしくね。

  特別な日、ということで、今日は少々長めなのですが、いつも以上に内容がありません。しょうもない戯れ言の連続ですので悪しからず。

 

「2013年1月27日、午後のこと」

 3両編成のローカル電車の扉がゆっくり開く。降り立った乗客たちは、冷たい風に身をすくめながら改札口を足早に出て行った。

 最後に駅舎を出たのは、歳の頃40前後だろうか、若いとは言えないが巴旦杏を思わせる目と丸みを帯びた頬が印象的な女と、リュックを背負った男の子の二人連れだった。

 落ち着いた雰囲気、といえば聞こえは良いが、あまりに静かな町のたたずまいに女はふと目を眇めた。息子の方は、もともと丸い目をさらに丸くしてさかんに辺りを見回している。

 「お腹がすいた」

 女の顔を見ながら男の子がぽつりとつぶやいた。

 「そうだね、どこかで何か食べていこうか。よさそうなお店があれば、だけれど」

 手を繋いだ二人は、駅の左手へと続く路地に歩を進めた。

 昼間もあいている店は、多くはなかった。いや、そもそも店が少なかった。

 「カフェ」の看板文字、年季が入ってかすれたそれに目をとめた女は、厚い木の扉に手をかけた。カラン。妙に明るい音とともに扉が開く。

 「いらっしゃい」

 中にいたのは、店の看板に負けないほどの年季の入った女主人だった。女主人は二人に目をやり、にっと笑った。男の子は思わず女の手を固く握り、一歩後ずさった。

 「子どもが一緒なんですけど」

 「……子ども……かまわないよ、ウチは昼間は酒は出さないからね。どこでも好きな席にどうぞ、といってもカウンター席しかないけれどね。」

 ほの暗い店内。他に客はいない。女主人が差し出した古びたメニューに目を通し、女は男の子に話しかける。

 「ツナがあるよ。ささみも。それからチキンペーストに……、あ、ターキーもある」

 背から下ろしたリュックを隣の椅子の上にそっと置きながら男の子は答えた。
 「ぼく、ツナとささみがいい。」

 「それじゃ、ツナとささみ、それとターキーペースト」

 「あいよ」

 カウンターの後ろの女主人は、ゆっくりした動作で棚から食材をとり出し始めた。

 男の子は、カウンターテーブルの上に置かれた水のコップと女主人を、交互にちらちらと見ている。女は、黒い毛を掻き上げてため息を一つついた。

 「お客さん、見かけない顔だね。この町は初めてかい」

 注文の品を載せた皿を出しながら、女主人が聞いた。

 「ええ、こっちで勤め先が見つかったものだから」

 「いただきますっ」

 皿の上のごちそうに目を輝かせた男の子は、勢い込みながら言うや否や一心不乱に食べ始める。まわりは全く見えていないようだ。

 「場所は解っているのかい」

 「これまで住んでいた街でお世話になった方が、紹介状と一緒に地図を書いてくれて。これです」

 女が紙を大事そうに取り出す。手書きの地図、丁寧に書かれたそれを見た女主人は、目を見開いた。

 「おや、ここは」

 「知っているんですか」

 「ああ、よ~くね」

 苦笑いをしながら女主人は答えた。それを見て、女の顔に不安そうな影が宿る。

 「だいじょうぶ。すぐに慣れるよ。それにここの雇い主はチョロいからね。掌の上で転がしておやり」

 女主人は少しばかりひとの悪そうな顔で笑った。

 小さく息を吐き、女はターキーを食べ始めた。初めは機械的に口にしていたが、そのうちに表情がほころんできた。好物なのだろう。

 そんな女の様子を、隣に座った男の子がじっと見つめている。男の子の前の皿はとうに空になっていた。残りが三分の一ほどになったところで、女は息子のまなざしに気づいた。

 「食べる?」

 「うんっ」

 自分の近くに寄せられた皿を抱え込むようにして、男の子はターキーを食べ始めた。

 「食べ盛りとはいっても限度があるよ。あまり甘やかさない方がいいんじゃないかね」

 「わかってはいるんですけれど」
 女は恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに答え、やわらかなまなざしで男の子を見つめる。

 男の子はすぐに食べ終え、水も飲みほした。女は言った。
 「お勘定を」

 支払いを済ませて席を立とうとする二人に、女主人が声をかけた。

 「店を出て左にまっすぐに行くと大通りにぶつかる。それを右に行くと橋がある。それを越えてすぐの所に、目当ての家はあるよ。煉瓦色の建物だ。それと、これを持ってお行き」

 女主人が差し出したのは、ターキーペーストの缶詰だった。

 「私はこれが好物ですって、新しい雇い主に言うと良いよ。大喜びで買ってくれるだろうさ。ただね、気が利かないところがあるから、ずっとそればかりになるかも知れない。飽きたら飽きたと、ちゃんと言わないとあいつには解らないからね」

 予想もしていなかった厚意に一瞬とまどった様子だったが、すぐに女は礼を言った。

 「ご親切に、どうも」

 女主人はにいっと笑い、カウンターに肘をついた手を二三度振った。そして、まっすぐな長い尻尾と太くて短めな鍵尻尾が仲良くドアの向こうに消えていくのを見ながらつぶやいた。

 「グッドラック」

 けれども、彼女は知らない。閉じられたドアの向こう側でこんな会話が交わされていたことを。

 「ねえねえママ、あのおばあちゃん、すごく変な模様だったね。虎猫がどろんこ遊びしたみたい」

 「それを言うなら墨壺に落ちた茶虎猫、じゃなくて、そういうことを言うんじゃありません。ターキーの缶詰をくれた親切なひとなんだから」

 

〈おまけ〉

 その日の晩。カフェ「縞三毛」の女主人は氷を砕きながら、常連客に昼間の二人連れのことを話し出した。

 スコッチグラスを片手に黙って聞いていた客、大柄な雄の虎猫は、一通りの話が終わったところでぽつりと言った。

 「そうか、あいつも新顔を迎えたってわけだ」

 「あいつは猫族が側に居なけりゃだめなヘタレだからね。まあ、よかったんじゃないのかね」

 虎猫は低く笑いながら言った。
 「舞い上がる様が目に浮かぶようだ。しばらくは気もそぞろで仕事も手につかないことだろうよ」

 けれども女主人は宙に目を向けたままつぶやく。
 「あいつのことより、あの親子の方が気になるんだよ」

 「なぜだ?仲の良さそうな親子じゃないか」

 「そこさね」

 女主人は虎猫の顔をひたと見つめた。 

 「仲が良いのは結構なんだけどね、あの親子は両方とも解っちゃいないんだよ。子どもがとうに大きくなっていることを」

 意外そうな声で虎猫が尋ねる。

 「息子は子猫じゃないのか」

 「とっくに。おっかさんより一回り以上も大きい立派な黒猫なんだよ。だけど、おっかさんの目にはまだ子猫に見えているようだし、息子の方も自分は子どものつもりなんだ」

 「それはそれは」

 虎猫はおかしそうに笑い、スコッチを一口飲んでから言った。
 「でっかい“子猫”が遊んで欲しくてとびついたら、おっかさんの方が下敷きになってノシイカみたいになるってことか」

 「おっかさんの尻尾にじゃれているうちに思いきりかみついてしまって、“教育的指導”が入ったりしてね」

 ほの暗いカフェの中に、猫たちの楽しげな笑い声が響く。

 窓の外、春が近い夜空には、三日月が輝いていた。

*****

 何でも食べる食いしん坊、もとい、健啖家のリンリンに対して、アンズは割と好みがあるようです。どちらかというとドライフードの方が好きなのですが、ウェットフードでは今のところのお気に入りはターキーペーストの猫缶。それをおいしそうに食べるアンズを見ていて思いついた妄想です。誰かさんと誰かさんには友情出演をしてもらいました。

 息子猫がしょっているリュックには、上等な猫缶や猫ミルク、サプリメントにおもちゃなどがたくさん詰まっています。これは、新しい勤め先を紹介してくれた方からお餞別にいただいたものなのでした。

 ちなみに、文中の黒猫親子の仕事は「かわいい」です。猫ですから。(「猫はかわいいが仕事」 ある漫画家さんの言葉より。)

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 アンズ、「かわいい」業務に専念中。

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 ボクは「かっこいい」業務担当だもんね。

 そうね、でもこ~んな業務の方が多いけれどね。

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